有名人の噂

村田琳の父親村田信之の職業は?離婚が原因で釜石市に移住?!

俳優で歌手の村田琳さんの母親といえば、立憲民主党の蓮舫参院幹事長(52)ですが、2020年8月25日に父親であると村田信之さん(54)が離婚していたことが2020年8月25日に分かりました。

村田琳さんの父親である村田信之さんは一体どういう方なのでしょうか。

今回は村田信之さんの職業や離婚後に釜石市に移住した理由についてまとめていきたいと思います。

村田信之さんの職業は?

 

引用:https://www.happy-bears.com/yukitakahashi/column/dialog/11680

村田信之さんの現在の職業はジャーナリストです。

1966年長崎県生まれ。早稲田大学政治経済学部、大学院公共経営研究科修了。田原総一朗スタッフを経て、早稲田大学客員准教授。大隈塾「たくましい知性を鍛える」を担当しています。

2002年に早稲田大学オープン科目の大隈塾「21世紀日本の構想」(早稲田大学校友会支援講座)の立ち上げ、2004年の大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム(現リーダーシップ・チャレンジ)立ち上げと運営にかかわる。2009年、鳩山由紀夫内閣で内閣官房専門調査員として総理官邸勤務も経験。

大隈塾では早稲田大学の生徒に一体どんなことを教えているのでしょうか。ご本人は以下のように話しています。

目下取り組んでいるのは、早稲田大学の「大隈塾」という、今までの大学にはなかったような講座を運営し、学生を育てていくということですね。その子たちが社会に出て、自分のやりたいことを実現できれば、本人も社会も充実する。その子が家庭を持てば、家族も幸せになる。すると、世の中全体が良くなっていきますよね。

つまり、自己実現をかなえる学生を育てて世の中を豊かにしようという考え方です。

また学生に講義をするようになった動機については「いつのまにかここにいましたね。今は大学の教員がおもしろいから、これを続けています。でも他の職業だって、諦めたわけじゃないんです。いつなろうかな。」と話されています。

村田信之さんの専門はパブリックマネジメント、公共経営です。

経営においてリーダーシップを育てる講座を担当されています。

離婚後なぜ釜石市に移住したのか?

村田信之さんは釜石市に移住した理由は「離婚したから」

なぜ釜石市を選んだかというと「東日本大震災から来年でちょうど10年。釜石の次の10年のために自分が何かできないかな」と思ったそうです。

釜石とのつながりについては以下のように話しています。

「私はラグビーをやっていまして。2011年に清宮克行さん(日本ラグビーフットボール協会副会長・日ハム清宮幸太郎選手の父)が、「村さん。行こうよ」と。

それで釜石に連れてきてもらったんです。

釜石シーウェイブス(ラグビーの名門クラブチーム)や釜石市に支援物資を届けてからですね。釜石との関係が始まったのは」

その後、息子である村田琳さんが当時ラグビー部で合宿を釜石で行うなど交流を深めていくうちに知り合いが増えていったそうです。

釜石でどんな教育を行っていくのか

そもそも村田信之さんは移住にあたって早稲田大学を辞めたわけではありません。すでに中学や高校での仕事の紹介が入ってきているという。

「これからは早稲田大学だけではなく、世界中の大学が変わってくる。今までは論文が大切とされてきた。

もちろん、論文の重要性が下がるということではなくて、教育の効果を当てられるか。

新型コロナウイルスの影響は今のところ収まらないわけですから、ICTを使って、どうやって安全に、接触を減らしていくか。そういう教育ですよね。

今まで日本の大学って世界的に見て遅れていたかもしれないが、今は横並びと見ても良い可能性すら出てきました。

教育工学を専門でやっている人も東京にはいるけど、地方でそれを実践できるかどうか。実際、先生が地方に散らばっていた方が良いわけですよね。

東京一極集中でなくて、地方に分散して、教育の質を均等化できるチャンスでもある。」

「釜石に村田研究室がある」そう表現しています。生活様式の変化で教育の現場にも変化が求められています。

岩手の教育について「僕が来たらどうにかなるという訳では無いんです。

でも、「自分がジグソーパズルの1ピースを持ってきた」という感じですね。

自分という1ピースが来たから誰か、もう1ピースが「釜石に行ってみようか」ってなって、それが何ピースか揃えば、絵がハッキリとしてきて、そうするとまた人がやってくる。ということがあるかもしれないですよね。

釜石というところのジグソーパズルはまだ少なくて。僕が1つのピースとしてハマったら、もう1ピースがはまっていけば。

そうすれば北上とか他の市にも影響が出てくるかもしれない。

誰か1人がとても凄いことをするんじゃなくて、空いているピースがどんどん埋まっていく。そういう感じですよ

1人のカリスマが「おらおらおらぁ!!」という感じではなくて」

そう話す村田信之さんからは挑戦する教育者としての情熱が感じられました。

釜石市での10年、どんな変化を見せてくれるのかとても楽しみです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。